名作映画のひとつ『カサブランカ』の回想シーンで、主人公のリックは恋人イルザからの手紙をずぶ濡れになりながら読みます。クローズアップされたその手紙は筆記体で書いてあります…。
この映画を初めて見たときに、「きれいな筆記体だなぁ」と私は感動しました。それと同時に雨にどんどん滲んでいく文字を読めたとき「筆記体を読めて良かった」とうれしく感じたものです。
日本では「重要性が低い」という理由で筆記体は教えられなくなりました。しかし、今でもグリーティングカードや看板には筆記体で書かれた英語を頻繁に目にします。
子ども達に筆記体を習わせることは、本当に無意味なのでしょうか。子どもが「筆記体教えて」とお母さんにお願いしたときに、どのように対応したらいいでしょうか? 外国での筆記体の取り扱いと上手な書き方、そして筆記体の魅力について詳しく説明します。
筆記体の取り扱い
私が高校生の頃、先生は黒板に筆記体で英語を書いていました。とてもクセのある字を書く先生がいて、隣同士ひそひそ声でスペリングを確認していたのを覚えています。
娘が中学生のときに「筆記体って習った?」と確認すると、「教科書で紹介されているけれど授業では扱わなかった」と答えました。どうやら私の時代と娘の時代の間に境目があるようなので調べてみました。
・日本の学校での筆記体の取り扱いについて
日本の中学校での「筆記体」導入は、1962年の学習指導要領の施行からです。このときに筆記体は必修事項となり、それ以降、全国の中学校で教えられるようになりました。
筆記体が必修事項ではなく教師の裁量に任されたのは、2002年に施行された学習指導要領からです。実際はその前から移行期間が設けられていたので、2002年以前に中学生だった人も教わっていないかもしれません。
筆記体の指導を禁止していませんが、実際はほとんど教えられることはありませんでした。その後も、学習指導要領は何度も改訂されていますが、筆記体は必修事項にはなっていません。
筆記体を重視しなくなったのは、手書きの機会が減ってしまったからです。私もメモを取る以外に、手書きをする機会はほとんどありません。
アメリカとイギリスでは筆記体を教わるのか
では、英語ネイティブのいるアメリカとイギリスの小学校では「筆記体」はどのように扱われているのでしょうか? アメリカは筆記体を指導する小学校はほとんどないようで、ある年齢より若い人たちは書けない人もたくさんいるようです。
一方、イギリスの小学校では「筆記体」は必修になっています。私の息子が通っていたイギリス系のインターナショナルスクールでは「Cursive writing(筆記体)」の授業がありました。
息子が突然cursive letters(筆記体)で書き始めたのでちょっと驚きました。先生に確認したら「イギリスでは必修です」と説明を受け意外に感じました。
筆記体については「ネイティブでも習わない」という説は、半分正解で半分間違いです。英語圏に限らず、ヨーロッパ諸国では筆記体を習う方が主流のようです。
筆記体の良いところ
英語の発祥地であるイギリスで必修なので、筆記体にも良いところはあるはずです。私の思う利点を挙げてみます。
・速く書ける
私の場合、ブロック体と比較して筆記体の方が3割速く書けます。ただし、慣れないうちはブロック体の方が速く書けるので、練習次第です。
・単語の間にスペースを入れられる
ブロック体しか習っていなかった頃、息子の作文には単語と単語の間にスペースはほとんどなく、とても読みにくかったです。私は何度も注意したのですが、なかなか直りませんでした。
ところが筆記体にした途端、きちんと指一本分のスペース(finger space)を入れられるようになったのです。単語の中のアルファベットは線でつなぎます。単語と単語の間はつなげないので、自然とスペースを入れられるようになりました。筆記体によって、手書きの文章は読みやすくなりました。
・芸術的な魅力がある
スターバックスのチョークアート、クリスマスカードのメッセージなどは筆記体で書かれていることが多いです。その方が魅力的に見えるからです。筆記体の美しさは「カリグラフィー(calligraphy)」と呼ばれる装飾文字に通じるものです。
筆記体について確実なのは、「学ぶ価値があるかもしれない」ということです。筆記体に挑戦してみたいと子どもが興味をもったなら、それを止める理由はどこにもありません。
筆記体は最低限読めた方がいい
もし「他にも優先して学ぶことがたくさんある」とお母さんが感じるなら、子どもには筆記体は読める程度に慣れさせるのがおすすめです。
なぜなら学校を卒業すれば、あらゆる国のあらゆる世代の人と交流する可能性があります。その中には日常的に筆記体を使用する人も少なからずいるはずです。
筆記体の小文字の中には、ブロック体の小文字と形がかけ離れたものがあります。例えば、r, s, zなどです。このように特徴のあるものだけでも頭に入れておけば、役立つ場面はきっとあります。
筆記体について学ぼう
もし子どもに筆記体を教えるなら、ライティングに抵抗を感じなくなる小学校高学年くらいがいいと思います。この時期は小学校で手書きに慣れていてスムーズに学べるでしょう(もちろん、アルファベットを理解していることが前提)。
昔は4本線の入った英語ノートで練習していました。今はアプリでも練習できるので、これを利用するのもいいでしょう。
「cursive writing」で検索すると、いくつかの練習アプリが出てきます。気に入ったものを利用して子どもに練習させてみましょう
アルファベットを筆記体で
まずは、一文字ずつアルファベットを筆記体で書いてみます。アドバイスは、「小文字から始めること」と「適当にごまかしながらつなげること」です。
小文字から始めるのは、最も使用頻度が高いからです。文頭以外ほとんどは小文字なので、これを覚えるのが最優先です。大文字は「I」を覚えておけば、とりあえずはOKです。
つなげ方に慣れよう
筆記体の難しさは、つなげ方です。文字の組み合わせによって無理が生じるからです。例を見ながら説明します。
例えば、nearのつなげ方は簡単です。すべての文字は右下で終わり次の文字につなげやすいからです。
反対に、voiceでは、voiをつなげるときに高さに無理が生じます。表現は悪いですが「適当にごまかす」のがコツです。orでも同じようなテクニックを使います。
筆記体をうまく書くコツ
筆記体で上手に書くためには、つなげ方以外にもいくつかコツがあります。
・無理につなげようとしない
教本では、中途半端な位置から始めてもう一度戻る書き方が推奨されています。しかし、そこまで厳格につなげようとしない方が、私はストレスなく書けると思います。
例えば、manを書くときのaは教本では下の図の位置から書き始めて(赤線)、もう一度戻ってくるように(青線)指示されています。しかし、私は無理に繋げずいったんペンを離して(緑の〇)、普通にaを書く(赤線)方が速く書けます。
子どもによって好みがあるので、どちらかストレスを感じない方で試してみましょう。
・字の傾きと高さを一定にする
筆記体をきれいに見せるためには、字の傾きと高さをそろえることです。小学生は国語の授業でノートはまっすぐ、背中をピンと伸ばして字を書くように指導されます。一方、英語を書くときは、紙は右上がりに置く方がきれいに書けます。
また、アルファベットを覚えたときの4本線を意識しながら高さをそろえて書くと、美しい文字が書けるようになります。
・点はあとで打つ
日本語は一文字ずつ完成させてから次に移りますが、英語ではi, j, tの点や横棒は単語を書き終える最後に記入した方が、スピーディーに書けます。例えば、justを書くときは下の図のようになります。
上記のようなコツを参考にしながら練習すると、小学生でもきれいな筆記体を書けるようになります。教科書通りの筆記体を書く必要はありません。ネイティブでもブロック体と筆記体の中間のような文字を書く人がほとんどです。
筆記体の不思議な魅力
「デジタル時代に筆記体は不要」の主張にも納得できる部分はあります。しかし、私自身は筆記体を学ぶことによって得られたものがありました。同じような経験や考えを持つ人もいると思うので、筆記体の不思議な魅力とその効果について説明します。
Steve Jobsのスピーチ
アップル社の共同設立者でカリスマ的な存在となったスティーブ・ジョブズが、2005年6月、米国の名門スタンフォード大学の卒業式でスピーチをしました。その中で私が興味を持ったのは「カリグラフィー」について触れられている部分です(2分25秒から)。
大学をドロップアウトしてから、ジョブズは「カリグラフィー」の授業を受けたそうです。そのとき、どうしたら文字が美しく見えるかについて深く学びました。当時は何の役に立つのかなどまったく頭にありませんでした。
ところがそのとき学んだことは、10年後にマックの設計をしているときに「美しいフォント」や「字間調整機能」に大いに役立ちました。
私はWidows 95が登場する前に、会社でマッキントッシュのコンピューターを使用していました。ワープロの文字に慣れていた私は、画面上の文字の美しさに感動したのを覚えています。このスピーチでその謎が解けたので深く納得しました。
自分の体験談
私は中学校に入ってから英語を学び始めたので、筆記体を習ったのもその時期です。その頃、筆記体にハマってしまい、上手に書けるようになるために教科書の書写をしていました。
教科書を音読して1センテンスか2センテンスを丸ごと覚えます。教科書を見ないで、それを紙に筆記体で書き写すだけです。英語の自由作文ができなかったので、教科書を丸写ししていただけです。
半年くらいしてから気づいたのですが、黒板の英文をノートに写すのが他のクラスメイトと比較してダントツに速かったのです。他の生徒は、一単語ずつ黒板を見てノートに写していたので時間がかかりました。
筆記体の練習は意図せずに英語力の向上にも役立ちました。英語をセンテンスごとにまるごと覚えられるようになったり、正しい教科書の英語を暗唱できるようになっていたりしました。
私が筆記体を完全に否定できないのは、このような効能があったからです。私の息子も以前は学校で出されるライティングの宿題が苦痛そうでしたが、筆記体を習ってから前向きになりました。文字を書くのが楽しくなったからです。
・興味があるなら我慢させる必要はない
子どもが英語を学んでいて何かのタイミングで筆記体に興味を持ったのなら、我慢させる理由はありません。スティーブ・ジョブズがスピーチで語ったように、そのときは何の役に立つかわからないことが、あとで重要になるかもしれないからです。
興味を持つのは何か惹かれるものがあるからです。どんなアプローチでも英語に興味を持つきっかけになるのなら大いに活用しましょう。
まとめ
競争が激しくなると、世の中は実利的なものばかりを追い求めるようになります。「就職に役に立つから」「進学に役に立つから」と考える気持ちも理解できます。しかし、大事なことはその時点では案外わからないものです。
「タイピングを上手になりたくて英文を書いてみる」のも同じことがいえます。子どもが何かに興味を持ったのなら、それをきっかけにして英語学習に結び付けられれば大きな成果を生むかもしれません。
「好奇心をテコにして学習効果を高めていく」発想は、子どもの学習には欠かせないものです。その芽を見つけたら、お母さんはすぐに反応して欲しいと思います。
海外に行くと自署を筆記体で記入することもしばしばあるので、筆記体の学習は無駄ではありません。筆記体を知らないお母さんも一緒に練習すると「お母さんより上手に書きたい」と子どもは乗り気になります。
微力ながら筆記体の魅力を多くの子ども達と分かち合えたらいいなと思っています。