2020年度から「小学校の英語、教科化」が全面実施となりました。お母さん世代は中学校から英語を学び始めたので、「小学校での英語って、どのような授業になるのだろう?」と疑問や不安を感じるかもしれません。
日本の英語教育は「何年学んでも話せない」と長年非難の的になってきました。これを受けて文部科学省は学習指導要領を改訂し「小学校での英語の教科化」を2020年度から全面実施することになりました。
そして批判の多かった大学入試英語も改革し、英語4技能(読む・聞く・書く・話す)をバランスよく測れる試験に移行する予定です。まさに戦後ほとんど変わらなかった英語教育が大きく変わる大転換期です。
ただし、これを機に日本人の英語力が向上するかどうかは不透明です。今後も検証と改革は続いていくでしょう。「英語教育は永遠に未完成」ともいえます。
では、このような環境でお母さんはどのように考え行動するべきなのでしょうか。このような変動期においては、国の方針に振り回されずに家庭で責任を持って英語教育に取り組む意識が必要です。
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2020年度から小学校の英語は正式教科
長い間、日本では中学校になってから英語を正式教科として学び始めてきました。中学入学前の「英語ってどんな勉強するんだろう?」と期待と不安の入り混じった気持ちは、お母さん世代なら覚えているはずです。この当たり前だった中学校からの英語教育が大きく変わりました。
学習指導要領の改訂で、2020年度から小学5・6年生で正式な教科として「英語」が導入されることになりました。これは単に小学校から早めに英語を学ぶ話ではありません。
文部科学省は英語4技能(読む・聞く・書く・話す)をバランスよく伸ばすことに本気の姿勢です。コミュニケーション能力をきちんと測る大学入試改革を目指して、小学校~高校までの英語教育を大きく見直す大改革です。
学習指導要領
日本の学校教育法で定められている学校には「学習指導要領」が適用されます。2020年度から完全施行の学習指導要領(小学校)とそれ以前のものでどのように異なるのかを比較してみましょう。
・2020年度より前の学習指導要領
第1 目 標
外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解を深め,積極的にコミュニケーションを図ろうとする態度の育成を図り,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う。
「態度の育成」「慣れ親しませながら」「素地を養う」の部分から感じ取れるように、勉強っぽさはできるだけ排除して、英語を楽しむことに主眼を置いていました。
・2020年度移行の学習指導要領
第1 目 標
外国語によるコミュニケーションにおける見方・考え方を働かせ,外国語による聞くこと,読むこと,話すこと,書くことの言語活動を通して,コミュニケーションを図る基礎となる資質・能力を次のとおり育成することを目指す。
まず、英語4技能について明記しています。続きの部分も読んでみましょう。
(1) 外国語の音声や文字,語彙,表現,文構造,言語の働きなどについて,日 本語と外国語との違いに気付き,これらの知識を理解するとともに,読むこと,書くことに慣れ親しみ,聞くこと,読むこと,話すこと,書くことによる実際のコミュニケーションにおいて活用できる基礎的な技能を身に付けるようにする。
(2) コミュニケーションを行う目的や場面,状況などに応じて,身近で簡単な事柄について,聞いたり話したりするとともに,音声で十分に慣れ親しんだ外国語の語彙や基本的な表現を推測しながら読んだり,語順を意識しながら書いたりして,自分の考えや気持ちなどを伝え合うことができる基礎的な力を養う。
(3) 外国語の背景にある文化に対する理解を深め,他者に配慮しながら,主体的に外国語を用いてコミュニケーションを図ろうとする態度を養う。
ご覧のとおり、4技能(聞く・読む・話す・書く)のバランスとコミュニケーション能力の養成を具体的に掲げていることから、前回までの学習指導要領とは英語の扱いはまったく異なります。
簡単にいえばこれまでは「楽しくやればよい」だけだった英語は、「基礎的な技能をしっかりと積み上げる」ものに変化したのです。
3・4年生は「外国語活動」、5・6年生は「教科」
では、このような目標を達成するために、どのように小学校で取り扱われるかを具体的に説明します。小学3・4年生は「外国語活動」として英語を学びます。年間35コマ(1コマ=45分)で約26時間が割り当てられています。
この外国語活動では、クイズ・ゲームなどを通じて楽しみながら英語の音声と基本的表現を学びます。教科ではないので評価は「文章での評価」となります(児童一人ひとりについて評価を書く担任の先生は大変です)。
次に、小学5・6年生では「教科」として英語を学びます。年間70コマ(1コマ=45分)で約52時間が割り当てられています。文字も扱う(読む・書く)ようになり、4技能をバランスよく学びます。算数や国語と同じ扱いで、担任の先生は児童を3段階で評価します。
小学5・6年生の英語では文法の指導をせずに、児童が日本語との構造の違いに気づくような形態をとるようです。
扱う内容を細かく見ていくと「3人称単数現在形の-s」とか「過去形」など中学校で学ぶ内容が含まれているので、担任の先生の指導力がポイントになっています。
文部科学省のサイトでは使用教科書や指導書などのサンプルが公開されていますので、こちらをクリックしてください。
中学卒業時の目標は英語で会話できること
文部科学省は、「中学校卒業時に英語で会話ができる」ことを目標に掲げています。小学校で合計156時間を英語(外国語活動)の授業に充てて早めのスタートを切っていますが、個人的にはかなりハードルの高い目標に感じます。
でも批判するのは簡単です。そういう目標を無理やりにでも掲げて、現場の先生の指導法や意識を変えていかないとダメだと判断したのかもしれません。学校の先生に限らず、ほとんどの人は現状維持を望んでいるので、現場の行動や意識を変えるのは容易ではありません。
実は私の子どもは2人とも、この新しい英語教育の対象になるので他人事ではありません。今後も関心を持って、どのような形で新しい英語教育が実施されていくのかを注目していこうと思います。
授業時数と必修語彙の増加、そして大学入試
小学3年生から英語学習が始まることで、授業時数と習得語彙の2つが増加しました。具体的な数字を見ながら、英語をマスターするのに充分かどうかを検証してみます。
小学校の授業時数の増加
小学校の英語授業時数は70コマ(53時間)から210コマ(158時間)へ増え、約103時間の増加です。中高の授業時数は変わらないと仮定すると、小~高までの英語授業は約900時間です。
日本人が英語をマスターするまでに必要な時間は3000時間といわれています。授業時間の3分の2の600時間を実質的な学習時間と考えると、これでようやく必要な5分の1を確保できることになります。
学校でできるのはこれが精一杯でしょう。英語以外にも学ぶことはたくさんあります。残りの2400時間は授業以外の家庭や塾で確保しなくてはいけません。あらためて日本人が英語を習得する壁は高いと感じます。
語彙レベルの増加
私が驚いたのは、小学校での習得語彙の目標が600~700語に設定されたことです。私が中学生だったころは1000語くらいだったので、当時の中学生の3分の2の単語数を小学生のうちに覚えなくてはいけないのです。
そして中学では1600~1800語(2020年度以前は1200語)に目標習得語彙は増え、英語が苦手な生徒にとっては辛い状況になりそうです。
さらに「中学卒業時に英語で会話ができること」を目標にしていることから、単に意味を暗記しただけの単語(パッシブ・ボキャブラリー)を身につければいいわけではありません。自分で使いこなせる単語(アクティブ・ボキャブラリー)を増やす努力が求められます。
大学入試の変化
従来のセンター試験は読解9割・リスニング1割の配点でした。このリーディング偏重のテストから、民間のテストを利用しながら4技能の能力をバランスよく測るテストへと大きく舵を切る方向で話は進んでいるようです。
英語はどうしても時間がかかるので、このテストで乗り切れるのは「天才タイプ」と「コツコツタイプ」だけです。
「天才」タイプの受験生はすべての教科をそつなくこなしてしまう優等生です。彼らは制度がどのように変わっても関係ないでしょう。
もう一つのタイプは、子どもの頃から計画的に英語を学び続ける「コツコツ」タイプです。理想的なプランとしては中学校卒業時までに英検2級程度の英語力を身につけておいて、高校の3年間でコミュニケーション能力を徹底的に磨く作戦です。
でも現状から判断すると、受験生が皆このような結果を出せるはずがありません。大学は合格者が少なすぎると経営は成り立ちません。実際はそれほど高い英語力はなくても合格できるかもしれません。
合格ラインが低すぎると、英語教育改革は中途半端なものになってしまいます。そして再び「失敗」と批判されることでしょう。英語教育の改革には終わりはなさそうです。
根強い反対意見と私の考え
いつの世の中にも、新しい制度や考えに反対を唱える人がいます。それが正しいかどうかは年月を待つしかありません。英語教育改革もいろいろなアンケートを見ると半数近い国民は反対しているようです。
ここではこれらの反対意見について、考えてみたいと思います。
英語不要論1:日本にいる限り不要
「日常的に英語を使う人は日本人の1割に満たない」というのが、英語不要論者の主張です。確かに周りを見渡しても英語を使って仕事をしている人はほとんどいません。でもこれだけで英語は不要と考えるのは早計です。
「英語ができないから英語を使わずに済む仕事を選んでいる」と考えることもできそうです。英語ができる人や苦労してマスターした人は、その能力を活用したいと考えるのが自然だからです。
不要とまではいえなくても、「万人が英語を習う必要性はない」と感じている人は多いかもしれません。でもこの論理を当てはめると、他の教科についても小学校までで充分ともいえます。
このように考えていくと、英語不要論は学生時代英語が苦手だった人の僻みや妬みがベースになっているような気がするのは私だけでしょうか。かくいう私も、歴史が苦手だったので「暗記ばかりする歴史など意味ない!」とときどき主張しています。歴史の教養がある人からみたら、浅はかな意見に聞こえるかもしれません。
英語不要論2:日本語力が低下するから
英語を勉強すると日本語力が低下すると考える根拠には2種類あるようです。一つ目は、「英語の学習時間が国語の学習時間を圧迫し、国語力の低下を招く」という考え方です。
確かに影響は皆無とはいえないでしょう。でも、学力の半分以上は「生まれつきの資質や能力」で決定しています。これを口に出すのはタブーと考えられているかもしれませんが、誰もが感じていることです。
優秀な子は勉強時間を減らしても、国語力は低下しません。反対に、能力が低い子は学習時間を増やしても国語力は上昇しません。これが現実です。成績が中の上くらいの子どもは多少影響受ける程度です。
もう一つの根拠は、「英語を学ぶと日本語に干渉してしまい、その結果日本語が滅茶苦茶になる」という主張です。例えば、タレントのルー大柴さんのような英語混じりのおかしな日本語になるという意見です。
海外に住む子どもが英語の学校(現地校やインターナショナルスクールなど)に通っていると、これは普通にあり得る話です。でも日本で日本語を話している環境の中で、英語を学習をしてもこのような言語干渉はまず起きないと断言できます。
もし子どもの英語学習が日本語に悪影響を及ぼすほど強烈であれば、ある意味英語教育は大成功です。なぜなら、少し手を緩めればいいだけだからです。実際こんなことはあり得ないので、心配するだけ無駄です。
どちらの理由であっても、英語を学んだからといって国語である日本語の能力が低下することはありません。もし国語力が低下したなら、他の原因を探ったほうがよさそうです。
英語不要論3:何歳からでも学習できる
「英語は何歳からでも習得可能」というのは、その通りです。むしろ抽象的な概念を考えられるようになる中学生以降のほうが、文法を理解しやすいという利点があります。
でも、あなたの周りで大人になってから中国語やフランス語を習い始めて話せるようになった人はどれくらいいますか? 少なくとも私の知り合いにはいません。
大人になると忙しくなります。よほどバイタリティーのある人か、どうにもならない事情に追い込まれない限り、あらたに言語を覚えようとはしません。「何歳からでも習得可能」は「何歳になっても習得しない」ケースが圧倒的に多いです。
「必要を感じたときにだけ必要な人がやればよい」というのも一つの考え方です。でも、これは受け身の学びです。仕方なくやっているからです。何かにチャレンジして得意なものを身につけて、それを活かそうとする「攻めの学び」ではありません。
また受け身の英語であっても、「やりなおし」と「ゼロから」では必要な労力には雲泥の差があります。やはり、子どもの頃から英語を学んだほうがいいと考えるのがよさそうです。
効果に疑問:先生の問題
小学校の先生のうち、英語の免許を取得している人はおよそ5%だそうです。実際に現場で教えられるレベルの小学校教員は皆無といっていいでしょう。
私は高校で英語教員の経験があります。自分の子どもや他の子ども達にも個人的に英語を教えた経験があります。そのときに感じたのは「小学生に英語を教えるには、専門的な技術が必要である」ということです。
中学・高校と決定的に違うのは文法用語を使えないという足枷があることです。異なるアプローチをしなければ小学生に英語を教えられません。それと同時に、中学・高校へと進んだときに習う英語についても理解しておかないと、うまくバトンタッチできなくなります。
「小学校で英語、教科化」を前にして、現場の先生から不安の声が上がっているので、おそらく最初の5年間はまともに機能しない気がします。
私の考え
かつての英国植民地に行くと、その影響の大きさに驚くことがあります。英国は国土は日本の3分の2で、大きくありません。でも、世界への影響力はナンバーワンかもしれません。英語はその英国が世界に広めた言葉です。
世界の人口70億人のうち、英語を実用レベルで使用している人の数は25%の17.5億人といわれています。一方、日本の人口は1.2億人で、世界人口の1.7%しか日本語は使われていません。
デスクトップ・パソコンのOS(オペレーション・システム)に例えると、WindowsとMac OSを使っている人が大多数です。LinuxというOSもありますが、その普及率を調べると5%未満です。
Linuxを使っている人が「WindowsやMac OSは不要」と主張したら、あなたはどのように感じますか? 主張するのは自由ですが、WindowsやMacで利用できるサービスやソフトウェアを使えない人と仕事やコミュニケーションを取りづらいはずです。
国語である日本語を大切にするのは賛成ですが、英語を学ばなくていいという主張と絡めないで欲しいと思います。母国語を尊重しつつ、汎用性の高い英語も積極的に習得するというのが最も理にかなった態度だと思います。
「小学校の英語、必修化」の利点とは?
では、小学校からの英語必修化について利点を考えてみましょう。そもそも日本人が英語を学ぶ意義は本当にあるのかどうか、一人ひとりがしっかりと考える必要があると感じます。
英語を学ぶと得をするから
まず、「英語ができると得をする」ことが利点として挙げられます。もう少し正確にいうと、「英語が苦手な日本人が多いほど、日本語も英語もできる人は得をする」ということです。
私は勤めていた会社で、工業製品をベトナムで生産するときの立ち上げに関わったことがあります。数年で軌道に乗せてシェアを一気に拡大できました。私は入社して3か月だったので商品知識はほとんどありませんでしたが、英語に抵抗がなかったのはかなり有利に働きました。
ベトナムでのビジネスパートナーとは英語で会話をしました。何度も現地で意見交換をしながら少しずつ品質を高めていきました。
一方、競合会社も同じように中国やインドネシアへ生産拠点を移そうとしました。私の会社の何倍もの規模で設備投資をしたようです。でも、どこの会社も1年以内に撤退し海外生産は失敗に終わりました。
噂によると、誰も英語が話せないためコミュニケーションを取れず他人任せにしたようです。すぐにお金・品質・納期などの管理がコントロール不能になってあきらめたようです。
私が成功できたのは英語力が高かったというよりも、ライバルの英語力が不足していて私だけうまくいってしまったからです。他の会社の営業担当は本気で生産拠点を移すなら、このタイミングで英語を勉強しなければなりません。しかし、誰もそこまで本気にならなかったようです。
このように英語ができると得することはたくさんあります。もちろん英語ができるだけではダメで、行動力とかその他の要素も必要ですが、英語力が無駄になることはありません。
英語を学ばないと損をするから
先日、テレビで高級和牛ブランド「松阪牛」の偽物ブランドがシンガポールで出回っていると報道されていました。10年以上前から出回っているという話でしたが、日本の関係者は誰も気づかなかったようです。
たまたま市長が視察をしたときに、現地コンサルタントから指摘されて初めて気づいたようです。事の重大さに気づいた市長は、帰国後本物の松阪牛ブランドを輸出するための準備を始めます。そして生産者に輸出用の肉の生産を交渉しましたが、すぐに変更できるようなものではないらしく難航しているようです。
この話の教訓は、日本一の和牛ブランド関係者が誰も海外の情報を取得していなかったため、多大な損失を出してしまったということです。英語で情報収集を日常的にしていれば、10年以上も放置されることはなかったはずです。
英語を学ばないと損をすることがあるのです。実際は、損をしていることにさえ気づいていないかもしれません。英語を話す人には悪い人間もたくさんいます。彼らに対抗するには、英語を学ばなければなりません。
小学生でもできることを中学まで待つ必要がないから
「英語絵本の読み聞かせ」や日常の会話で英語を取り入れる「英語での育児」は幼稚園から始められます。本格的な読書も小学校入学前後のタイミングから可能ですし、音読トレーニングは小学生にはぴったりの英語学習法です。
本格的な文法学習は中学以降でいいと思います。でも、小学生にできることがあるなら中学生まで待つ必要はありません。強制的にやらせるのではなく、子どもの能力や興味に合わせて、やれる範囲で英語学習をすすめればいいのです。
小学5・6年生になれば、学習意欲の高い子なら文法も少しずつ学べるはずです。英会話スクールやオンライン英会話を活用すれば、英検4級の取得はそれほど困難ではありません。
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英語レベルが低いうちは、教材内容も幼稚だから
あまり触れられない問題ですが、英語学習初期はどうしても表現が限られるので教材内容が幼稚になってしまいます。
もし中学校の英語教科書が日本語で書かれていたら、まともな中学生だったらバカバカしくて読んでいられない内容です。でも、英語力が低いためそのような内容しか扱えないのも仕方がありません。
小学校から英語の基礎を始めれば、この英語レベルと精神年齢のギャップを小さくできます。子どもっぽい内容の英語でも、小学3年生くらいなら自然に受け入れられるでしょう。
精神年齢に適した英語を習うには、早めにスタートしたほうがストレスなく学習できると思います。
英語教育大改革期にお母さんのとるべきスタンスとは?
実は、私は「小学校からの英語教科化」には賛成でも反対でもありません。正直、どうでもいいと考えています。中学・高校で英語が必修でなくなったとしても、「子どもに英語を学ばせる」という私の考えや行動は変わりません。
なぜなら学校でどのように扱われるかとか入試に必要とかに関係なく、英語を必要だと感じているからです。可能な限り、子どもには英語を身につけて欲しいと思います。そのように私が考える理由について詳述します。
少子高齢化が急ピッチで進む日本の将来を考える
人類史上類を見ないペースで、日本の少子高齢化は進んでいます。日本語のシェアをOSに例えた話をしましたが、そのシェアはさらに急速に落ちていくのは確実です。
経済を維持するにはある程度の規模が必要です。中小企業も含めて、日本市場だけで商売を完結させようと考えることには相当の無理があります。
大量の移民を受け入れるか、アジア市場の一部に取り込まれるかの二者択一しか、日本経済を成長させる道は残されていません。そしてどちらを選んでも、言葉は大事な要素です。国語と同じように英語を学ぶことを当たり前に受け入れた方がいいと思います。
学校での英語にも良いところはある
従来の学校英語で最も成功しているのは「文法力」です。英語を第二言語として話す人たちと話すとわかりますが、日本人の英語文法力は高いです。運用力が足りないので、そこは子どもの頃から家庭教育などで補う必要があります。
文法は語彙力とともに英語4技能の基礎となるものです。大切な基礎のひとつは学校任せにしていても充分身につくのだから、これは大いに利用したほうがいいです。
学校英語の良いところを認め、徹底的に活用しましょう。
塾や学校を言い訳にせず、家庭で責任を持つ
良くない結果が出たときに「〇〇が大丈夫って言ったから」「まさか〇〇とは思わなかった」という言い訳をする人がいます。でもたいていの場合、彼らは危険性を事前に認識しています。「失敗したら他人のせいにできればいい」という考え方に問題の本質があります。
英語教育に関して、「文部科学省が大丈夫って言ったから」「小学校から英語を学んだのにまさか話せないとは思わなかった」という言い訳を用意しているなら、それはやめましょう。
少しでも学校での英語教育に不安があるなら、お母さん自身もしっかりと勉強するべきです。そして子どもにとってどうするのが最も良い選択なのかを真剣に考えてあげて、周囲に流されずに行動するようにしましょう。
私がこのような記事を書いているのは、子どもの英語教育について真剣に考えるお母さんのために力になりたいからです。
不向きと判断したら、時間とエネルギーを別のことに向ける
誤解しないでいただきたいのは、私は「英語がすべて」などと思っていません。一人ひとりの子どもには個性があり能力もいろいろです。英語の学習に明らかに不向きな子どもも大勢いることは承知しています。
人生の目標はとてもシンプルです。「幸せを感じる」ことができれば、人生は大成功です。英語ができないからといって、不幸になるわけがありません。幸せに生きるためのアプローチはたくさんあります。英語ができないくらいで、子どもを追い詰めるような言動はしないでください。
お母さんに強調しておきたいのは、「子どもの得意なことに時間とエネルギーを向けてあげてください」ということです。もし子供が英語好きなら伸ばしてあげればいいし、そうでなければ他のことを伸ばしてあげればいいのです。
確かにすべての教科で優秀な成績の子どももいます。でも、普通は2つか3つ得意な科目があればいいほうです。それらを上手に組み合わせながら、生きる力を高めていけるように導くのがお母さんとお父さんの役割です。
英語はあくまでもその一つにすぎません。英語至上主義という狭い視野で子どもと接するとそれは不幸の始まりです。
まとめ
小学校からの英語教育が本格化すると「英語嫌いが増える」といわれます。でも、早い段階から適性が絞られるのは、悪い話ではありません。
英語の得意な子・好きな子は、学校のペースを待たずにどんどん学べばいいと思います。学校の授業だけでは限界があるので、家庭でしっかりとサポートしましょう。
私は英語教育への批判と改革は永遠に続くと思います。日本人にとって英語習得は決して容易ではありません。国が検証と対策を繰り返すうちに、子どもは成長して成人します。
英語教育に関して何が悪いとか誰が悪いとか悪者探しをすることは、非生産的です。頭を切り替えて、自分の子どもの英語力はお母さんが主導し、結果に対して責任を取るという考え方に切り替えていきましょう。
お母さんができることは、あまり国の英語教育に振り回されないように気をつけて、家庭で責任をもって取り組むことです。子どもの個性を見極めながら、子どもの英語力を伸ばしてあげましょう。